拝啓高野悦子様

『20歳の原点』を読んだ.悦子さんの文章は赤裸々で,まっすぐで,そしてもちろん彼女はノートが誰かに読まれるなんて想像もしてなかったのだろうにもかかわらずひきこまれるような文章.自分は彼女と感性を共有できなかったけれど.

 

「孤独であり,未熟である」こと,そしてそれでも考え続けること,こういったことを彼女は大切にしていたのであろうし,自分自身と必死に向き合おうとした結果多くの人がたどるように闇に呑み込まれてしまった.全体としてはそうなのだと思う.

 

だけど,煙草や酒をやるなんてことで自由を感じてしまうのは,学生運動にのめり込むのは,男の中のあるひとり(ふたり?)に幻想と理想をおしつけ,まるで神像をあがめるようにのめり込むのは(そうして,当たり前に彼女が考えるような人物ではないので)失望するのは自分自身と向き合うこと,考え続けることそして孤独であることからの逃げではないのかしら.

 

もちろん,彼女はそうだということに自覚的なのだ.おそろしいほどわかっている.自覚的であるからこそ,弱い自分と理想の自分との齟齬に耐えきれなくなってしまったのだろう.

 

ああ,自分は彼女が男に対する恋慕あるいは性欲などに真面目に取り組んで救いを見出そうとしていたことに失望しているのだ.せめて彼女がほんとうに大切にすべきだったのは,同じ孤独を分かち合っていて,彼女が素朴に信頼を向けていたのは牧野なんじゃなかったのかと,文字にはあらわれているのにどうしてそれに気づかないのだとすら思っている(よりマシなだけで,彼女に”救いを求め”るとしたらそれはそれで同じ結末を迎えたのだと思うけれど).

 

ただのしょうもない男への執着なんかのせいで死んでしまったなんて,もったいない.恋が,性欲が,いったいなんぼのもんなんだ.くやしいよ.