2021-06-19 自分の内側に潜る

ウロボロスの蛇が自分を飲み込み飲み込み、ついに消えてしまうところを想像する。
最終的には、口から裏返り、くるくると身体を巻き返す形になるはずだ。
その時には、内側は外側になる。
それまでの蛇の中味はなくなるが、世界が蛇の中味になる。

自分の中に潜ってゆく、どこまでも潜ってゆくと、くるんとひっくり返って、内側が外側を向く。
そうだ、私の身体は無に向かって収縮し、溢れ出したものは世界に浸透する。
しかしそれは難しいことだ。自分の内側に入っていくための扉を私はなかなか見つけることができない。
 (二階堂奥歯『八本脚の蝶』2002年7月12日(金)より)

 

調査地のキリスト教会で何がおぞましいかと言うと、各少数民族が教会の大きさを競っていること。平均月収1万円以下の貧困地域なのに信じられないほど巨大なLED装飾付きの禍々しい教会がいくつも建っていて、高さや床面積や収容人数の競争をしている。一方でインフラは滅茶苦茶で断水や停電しまくる。

@marukwamy
 

 

 

自分の中で,精神活動は現実の生活をいつも超えてしまう.
私は,(あくまで私個人の中で)インフラより教会を優先したいのだ.

精神活動を優先すること.

自分の中に潜っていくこと.

それは歪な存在の仕方だけど,それを徹底していたら,いつかくるんとひっくり返って,内側が外側に「なる」ことがあるだろうか.

 

 

※ 

二つ目の引用に関しては,発言の意図を曲げてしまっていることは自覚している.

もとのツイートでは,権力を持っている人間(修道士たち)が,現地の人間の生存を脅かしてまで自分たちの権威を高めようとすることが否定されている.

もちろん,自分もその通りだと思っている.

あくまで,公的にではなく個人単位でなら,教会(思想)をインフラ(生活)より優先してもよいだろうか?ということ.